スポンサーリンク
ここでは塩野義製薬 手代木 功 社長の経歴や大学、「手代木マジック」といわれる経営手腕、そして年収についても調べてみました。
手代木功(てしろぎ・いさお)塩野義製薬 社長がカンブリア宮殿に登場
インフルエンザのシーズン到来です。
子どもたちの学校でもインフルエンザでお休みの友人が日に日に増えています。
中にはいっきに20人近く発症して学級閉鎖になるクラスも…
私も何回かありますが、インフルエンザにかかったときのあの辛さとといったら本当に大人でも堪え難いものです。
そうなると抗インフルエンザ薬が頼みの綱となるわけですが、今回カンブリア宮殿に登場する手代木社長率いる塩野義製薬はなんとインフルエンザの新薬開発に成功しています。
放送日は1月24日(木)10:00〜(テレビ東京)
「タミフル」と塩野義製薬の新薬「ゾフルーザ」の違いは?
よく知られている抗インフルエンザ薬というと「タミフル」ですが、今回塩野義製薬によって開発された「ゾフルーザ」とは何が違うのでしょうか?
インフルエンザは人の体に入り込むとまず鼻や喉で増殖して違う細胞に広がっていく性質があります。
「タミフル」は簡単に言ってしまうとインフルエンザウイルスが細胞の外に出ないように阻止する働きがあります。
「ゾフルーザ」はというと全く違うアプローチの仕方で、ウイルスの増殖自体を抑える働きがあるそうです。
つまりタミフルはウイルスの増殖を止めることはできないのですが、ゾフールは増殖自体を止めることができるので感染してから早い段階での効果が期待できるわけです。
手代木マジックといわれる経営手腕/経営方針は?
そんなすごい新薬を開発した塩野義製薬ですが、実は10年ほど前は業績不振に陥っていました。
そこで2008年に塩野義製薬初の創業者一族以外からの社長、つまり手代木 功が就任します。
塩野義製薬は1878年(明治11年)と老舗の製薬会社ですが、2008年までの130年間ずっと創業者一族がトップにいたわけです。
手代木社長がまず大きな改革として手をつけたのが、「創薬型企業」つまり自社開発した薬を数多く持つこと=新薬の開発でした。
これ私的に結構意外だったのですが、製薬会社ってほとんどが自社開発の薬品を販売しているのでは?と思い込んでいましたが、実は「新薬の開発を成功させる」これってすごく難しいことらしいです。
ちなみに新薬開発の成功率は3万分の1、大手の製薬会社でも自社開発品の比率は2〜3割程度なのだとか。
確かに新薬の開発には多大の研究開発費と年月がかかるというのは聞いていましたがここまでとは…
そんな中で社長に就任した手代木社長は目標に向かってドラスティックに社内改革を実行していきます。
そして10年後、塩野義製薬の自社開発品の比率は共同開発したものも含めるとなんと6割以上、2018年には過去最高益(純利益)をマークしています。。
メガ・ファーマー(巨大製薬会社)でない塩野義製薬が次々と新薬を世に出せる理由は手代木社長が守っているある鉄則がもとになっています。
それは「優先順位と選択と集中」。
つまりバラバラといろいろな新薬を開発するのではなく、優先順位を決め集中して取り組んでいくんだそうです。
10年というと長いようですが、会社を根本的に改革して方向転換していくには短い期間ともいえますよね。
1人でビジネスを行なっているわけではないので、強いリーダーシップも必要ですし。
これって本当にすごいことです。
そんな手代木社長の経営手腕、「手代木マジック」には3つの大きな要素があるといわれています。
・先見の目
・決断力と実行力
・交渉力
手代木社長これからも目が離せませんね。
手代木 功 塩野義製薬 社長の経歴や大学は?
名前:手代木・功(てしろぎ・いさお)
生年月日:1959年(2019年現在59歳)
出身地:宮城県仙台市
大学:東京大学理科Ⅱ類に入学、東京大学薬学部を卒業
82年 | 塩野義製薬に入社し開発部門に配属 | |
87年 | 米国ニューヨークオフィスに駐在 | |
91年 | 帰国。開発渉外部に配属 | |
94年 | 2度目の米国駐在。カプセル会社に出向し、営業の責任者に | |
97年 | 帰国。社長室に配属 | |
99年 | 秘書室長兼経営企画部長 | |
2002年 | 取締役、経営企画部長 | |
04年 | 常務執行役員、医薬研究開発本部長 | |
06年 | 専務執行役員、07年から4本部を管掌 | |
08年 | 4月 | 塩野義製薬社長(現任) |
11年 | 5月 | 日本製薬工業協会会長(~14年5月) |
18年 | 5月 | 日本製薬団体連合会会長(現任) |
(引用:日経ビジネス)
手代木 功 塩野義製薬 社長の年収は?
ここまで会社に貢献した手代木社長の年収はいったいどれくらいなのでしょうか?気になりますよね。
4年間の年収が掲載されていました。
2015年:1億2300万
2016年:1億4900万
2017年:1億6200万
2018年:1億6100万
引用:IR BANK
今話題になってる日産の外国人の元会長に比べるとえっ?と思われる方も多いのではないでしょうか?
しかし会長であり塩野義製薬の創業者一族である「塩野 元三会長」の年収を見てみると、2015年から2018年全ての年で手代木社長を下回っています。
例えば2018年は1億1000万です。
ということからも会社に対する貢献度が認められているということですよね。
ちなみに、2017年データですが他の医薬会社の社長の年収も調べてみましたが、結構幅がありますね。
1億から中には10億超えの社長も。ちなみに10億超えは「武田薬品工業」の クリストフ・ウェバー社長でした。
手代木 功の家族は?
奥様と2人の息子さんの四人家族のようです。
ある雑誌のインタビューで40代のときに長男が中学生、次男が小学生と言っていますので現在は成人しているかもしれませんが、それ以上の情報は見つかりませんでした。
ただ、インタビューの中で手代木家のルールは「ゲームで遊ぶのは1日30分」。
「屋外で遊ばない子は、大人になってから悪くなる」という信念だったそうです。
そのために、虫取りをしたり家族で山や川へ旅行へいっていたそうです。
手代木社長の経歴を考えると寝る間もないほど忙しかったはずです。
それでも家族を優先にしたのは2回の海外駐在の経験からなんだそうです。
たしかに一昔前の日系企業では忙しい父親は週末も仕事で家族と一緒の時間を確保するのは難しかったように思います。
でも現在は会社のためだけに働くのではなく、自分の人生や家族と仕事の「ライフバランス」も重要視されています。
そういった考え方をアメリカでつちかってきて手代木社長だからこそ、10年という短い期間で社員の心をつかみ士気を高め、会社をここまで立ち上げてきたのでは。と考えます。
まとめ
今回はインフルエンザの新薬で取り上げられる手代木社長率いる塩野義製薬ですが、実はアルツハイマーやうつ病などいろいろな新薬の開発が進んでいて、これからもさらに注目されそうです。
手代木社長が就任したのは49歳。
就任してから10年たちましたがまだ50代、経営者としては若くまだまだいろいろなことができそうです。
これからも目が離せませんね。
スポンサーリンク
コメントを書く