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ここでは新紙幣の肖像画としてあげられている渋沢栄一の功績やおすすめの著書。そしてさらに渋沢栄一を知るために、記念館や生家の情報もご紹介していきます。
新1万円札は渋沢栄一
渋沢栄一はどんな人?
名前:渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)
出生:1840年3月16日ー 1931年11月11日
出身地:埼玉県深谷市
江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての実業家で、有名なところでは、「第一国立銀行(現みずほ銀行)」や「東京証券取引所」などの設立や経営を行いました。
多大な影響力と彼の功績から「日本資本主義の父」ともいわれている人物です。
注目すべきはかれの激動の時代を生きた経歴です。
江戸時代の天保11年(1840年)にのちの埼玉県深谷市の名主の家に生まれます。のちに一橋家に仕え、幕臣となり命により渡欧し、西洋の近代産業や財政制度について学びます。
大政奉還後は大蔵省に入り、次のような企業の設立に関わっています。ここではあげきれませんが、その数500以上なんだとか…
日本資本主義の父と言われる理由がわかりますね。
- 第一国立銀行
- 東京海上火災保険
- 王子製紙(現王子製紙・日本製紙)
- 田園都市(現東京急行電鉄)
- 秩父セメント(現太平洋セメント)
- 帝国ホテル
- 秩父鉄道
- 京阪電気鉄道
- 東京証券取引所
- キリンビール
- サッポロビール
- 東洋紡績
- 東京ガス
渋沢栄一が選ばれた理由は?
日本経済の発達に貢献した重要な経済人として過去何回か紙幣の肖像画の候補として上がっていたようですが、実現しなかったようですね。
1963年には千円札のデザインの最終候補として残ったようですが、偽造防止にヒゲがある方がいいということで「伊藤博文」が選ばれたようです。
今回の決定はなるべくしてなったといった感じですね。
渋沢栄一記念館の詳細情報は?
埼玉県深谷市には渋沢栄一の記念館があります。
- 住所:〒366-0002 埼玉県深谷市下手計1204
- 電話:048-587-1100
- 開館時間:午前9時~午後5時
- 料金:無料
渋沢栄一記念館の見どころは?
渋沢栄一の書いた書や写真がたくさん展示されています。
館内の係員にお願いすると20分程度で解説もしてくださるそうです。
渋沢栄一の生家(旧渋沢邸「中の家」)
- 住所:深谷市血洗島247-1(JR深谷駅からタクシーで約20分)
- 電話:048-587-1100 渋沢栄一記念館
- 開館時間 午前9時~17時
- 休館日 年末年始(12月29日~1月3日)
渋沢栄一についてもっと詳しくしりたないなら深谷市のサイトがおすすめ
渋沢栄一についてもっと詳しくしりたい方は、出身地の埼玉県深谷市が作成したサイトがとてもよくできていておすすめです。ぜひチェックしてみてください。
渋沢栄一のおすすめ著書は?
日本実業界の父が、生涯を通じて貫いた経営哲学とはなにか。「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した『論語と算盤』は、すべての日本人が帰るべき原点である。明治期に資本主義の本質を見抜き、約四百七十社もの会社設立を成功させた彼の言葉は、指針の失われた現代にこそ響く。経営、労働、人材育成の核心をつく経営哲学は色あせず、未来を生きる知恵に満ちている。
引用:BOOKデータベース
著名人の愛読書としても取り上げられることの多い本です。
こちらは渋沢栄一著作ではありませんが、彼についてもっと詳しく知りたい方におすすめです。上下巻あって読み応えあります。
5千円札と千円札の新肖像画は?
5千円札の津田梅子
津田梅子はどんな人?
名前:津田 梅子(つだ・うめこ)
出生:1864年12月31日ー1929年8月16日
出身地:東京都新宿区
一言でまとめてしまうと、難しい時代にあって女子教育の必要性を説き続け、発展に貢献した人です。津田塾大学の創設者でもあります。
彼女のプロフィールがすごいんです。
明治元年に士族の家に生まれた津田梅子でしたが、なんと6歳のときにアメリカに使節団の一人として留学しています。
もちろん最年少ですよ。
10年間アメリカに滞在し帰国。日本語や日本の慣習を忘れてしまっていたため、日本語を学びながら伊東博文の通訳として働き始めています。
その後、再度数年の留学を経て日本に帰国、「津田塾大学」を創設しています。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」や「花燃ゆ」にも津田梅子として主人公の友人や帰国子女として出ているそうですよ。
こういったバリバリ仕事に生きる女性、現代の日本では珍しくありませんが、この時代かなり生きにくかったようですね。そんな環境の中でこんな偉業をやり遂げるなんて女性として本当に尊敬します。
千円札の北里柴三郎
北里柴三郎はどんな人?
名前:北里 柴三郎(きたざと・しばさぶろう)
出生:1853年1月29日ー1931年6月13日
出身地:熊本県阿蘇
日本の医学博士であり、北里大学、慶應大学医学部の創設者でもあります。
1853年熊本県阿蘇の庄屋の家に生まれた北里渋三郎は教育熱心な母の影響で幼少の頃からいろいろな学問を学びます。
東京大学医学部を卒業後は内務省衛生局に就職します。
1885年から1892年までドイツのベルリン大学に留学し、ここで共同研究として「破傷風菌の培養」や「血清療法の確立」など様々な業績をあげます。
帰国後は、「国立伝染病研究所」所長、北里大学の元となる北里研究所創立、東京都済生会中央病院の設立、慶應大学の医学部の設立に尽力します。
新紙幣への変更はいつ?
これは正式に発表され次第アップしますね。
まとめ
新紙幣への全面変更は実に20年ぶりなんだそうです。
どの顔ぶれも留学をして新しい考え方を日本に持ち込み、日本の発展に貢献した人というのが興味深いです。
「グロバール」という言葉が普通になった今の時代にぴったりだと思います。
新しいデザインが発表されるのが楽しみですね。
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